第1章サマーディ・パーダ


この第1章(パーダ)では、ヨーガのプロセスと結果についての最も重要な考えが提供されます。認識作用の没入(サマーディ)は結果のひとつであり、パタンジャリはこの章の後半にかけてサマーディに関して明確に説明してくれます。ヨーガは科学的な技法、漸進的な体系であるので、パタンジャリはエンジニアが設計図の詳細を一つ一つ示すように我々を導きます。特定の技法のやり方については示されませんが、一つ一つがどのような関係にあり、どのような結果がもたらされるのかについて、かなり詳しく示されます。エンジニアの設計図と同様、スートラ(各節)は簡潔に書かれていますが、スートラとスートラが象徴している現実とを混同してはいけません。一般にインド人の著者、そして特にパタンジャリやティルムラルのような完成の域に達したヨーギ(シッダ)は、言葉の限界を理解し、含みを持たせて言葉を用いました。より深遠な現実を示そうとしました。この現実は言葉だけでは理解できないものです。多くの場合、イニシエーションを受けていない者にはわからないように、わざと曖昧な言い方で書かれています。この最初の章で重要な概念を理解すれば、次の章からの内容を理解することができるでしょう。次の章からはヨーガのプロセスと結果がより詳細に述べられています。

第1節.atha-yoga-anusasanam

      atha = 今

      yoga = 合一

      anusasanam = 解説

今から合一(ヨーガ)について解説する。

atha(今)という言葉は、重要な論文の始まりに当たって読者の注意を引き付けるために使われています。

第2節.yogas-citta-vritti-nirodhah

      yoga = ヨーガ

      citta-vrittih = 意識の揺らぎ

      nirodhah = 停止

ヨーガとは意識(内に生じる)揺らぎ(と一体になること)をやめることである。

まず、インド哲学に関する伝統的な2つの概念について説明する必要があります。自然(プラクリティ)と第1章第16、24節に書かれている真我(プルシャ)です。プラクリティはプルシャ以外のすべてであり、物質から精神的なものまで、全宇宙が含まれます。純粋な主体である真我(私は在る)とは異なり、プラクリティは客観的な現実、つまり真我に見られる対象です。どんなに一時的なものであっても、これは現実のものです。プルシャ、つまり真我は純粋な主体であり、意識の中心に存在します。プルシャが意識を照らします。プルシャがなければ、内面での意識的な活動は起こらないでしょう。目には見えない電気がなければ、電球に光がつかないのと同じです。プラクリティは、神秘的で不明瞭な状態の自然として、また目に見える様々な形態を取った物として存在しています。真我は、人格や肉体に限定された自我とは区別しなければなりません。真我は、小我、自我、個人、人格、エゴに縛られた記憶や自己認識の総体と対比されて、人の中心に在る永遠の存在、アートマン、ジーヴァと呼ばれることもあります。

“citta” という言葉は意識を表し、”cittar (シッダと発音)” という言葉は、意識を統御するに至った人、つまり「最高の意識状態にある人」を表すタミル語です。これは、”cit” (絶対的な意識)が個別化した状態を表します。パタンジャリは、”citta” という言葉の意味を明確にはしていませんが、『ヨーガ・スートラ』の文脈からこの言葉の意味を確定することはできます。第4章第23節によれば、意識は真我と根本原質(自然)、つまり見る者と見られるものとによって影響を受けます。真我と根本原質(見られるもの)が同一のものとして誤って捉えられることが、人間の苦しみと、人間の意識に関わる根本的な問題の原因です。シッダが述べているように、「我々は目を開けた状態で夢を見ている」のです。なぜなら我々は本当の自分とではなく、自分ではないもの、つまり夢と一体になっているからです。これは、真我と、意識の対象物との本来の関係とは正反対です。一般人の意識においては、真我が客体つまり「私」、個性、主体の役割を取った思考と感情と感覚からなるエゴに支配された集合体になってしまっています。自分の思考、感情、感覚、つまりエゴと一体になってしまう癖は、人間の意識に関わる病です。意識内に生じる揺らぎ(vritti)、つまり第1章第5節から第11節で取り上げられ、説明されている「正しい知識を獲得するための手段」「誤解」「概念化」「眠り」「記憶」から、エゴイズム、つまり「私はこの感情」「私はこの記憶」「私はこの感覚」と考える強い癖を取り除かなければなりません。「私はこの感情、記憶、感覚を意識しており、私はこの感情、記憶、感覚ではない」という無執着(平静)を意識的に養うことによって、取り除かなければなりません。

ババジのクリヤー・ヨーガにおける1番目の瞑想、シュッディ・ディヤーナ・クリヤーの目的のひとつは、この見方を変えること(意識を変化させること)です。癖はみなそうであるように、エゴイズムは潜在意識、つまり我々が通常意識している事柄の下のレベルに存在しています。しかし、このレベルにもヨーガの様々な技法を用いて働きかけることができます。

本当の自分は真我である、という悟りは、意識内の動きを除去することによってもたらされるのではありません。世の中が存在する限り、その動きは存在し続けます。問題なのは、「私はある(真我)」と「私は~である(意識の対象物、感情、記憶、感覚)」とを習慣的に混同してしまうことなのです。

意識とは何でしょうか。意識(citta) という言葉の意味は、シッダの文献でこの言葉がどのような文脈で使われていのかを見れば、確定することはできます。ティルムラルによると、

感覚に巻き込まれた我々の知性は 
ふと気づくと深海の中にいることを知る 
しかし、我々の意識内には、より深い意識が存在し 
それは恩寵によってかき立てられる     (ティルマンディラム119)

また第122節によると

シヴァヨーガとは、チットとアチットを知ることである  
ヨーガの苦行により 
真我の光が現れる 
本道を逸れずに、神の国へと入る 
私にこれを与えてくれたのは、9つのヨーガのナンディ(シヴァ)である

チット(Cit)=シヴァ意識に対する自覚 
アチット(Acit)=生き物を維持しているジーヴァ、つまり魂、個別の霊に対する無知

修練:騒がしい思考、感情、感覚が生じたら、「これを手放すことができるか?」と自問すること。これらの事柄に対して無執着でいられるようになること。


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